黒田官兵衛ウォーキング① [姫路]
2013年9月23日(mon)
2014年の大河ドラマは「軍師官兵衛」。
今姫路は「黒田官兵衛」に沸いています。
昨年の4月に会社の同僚が発起人となって発足したウォーキングクラブ(って言っても、個人の趣味の世界ですが (;^_^A )。
今回でもう8回目。
毎回人数が増ており、今回のテーマが「黒田官兵衛」のためか、総勢10人もの大所帯になりました。
ウォーキングのタイトルは「播州黒田武士の史跡めぐりと酒蔵ちょぃ見のハイク」。
歴史好きな同僚の船頭で、レアなポイント巡りだそうです。
9:00a.m. JR英賀保駅で集合。
大阪、神戸、加古川、姫路。
各地から参加者が集まってきます。
「英賀城公園」内にある石垣。
ここは「英賀城跡」となるのですが、この石垣はどう見ても当時のものとは思えないですよね。
英賀城公園隣にある「英賀神社」。
ここは司馬遼太郎の「播磨灘物語」文学碑が建っています。
御着城小寺城主の家老黒田官兵衛が主人公で、秀吉の播州攻略に尽くした物語です。
英賀神社は一大勢力を誇った三木氏が城主だった英賀城跡の一角にあり、司馬遼太郎の先祖は英賀に籠城した武将だったそうです。
また、司馬遼太郎の祖父も姫路に住んでいたこともあり、大阪出身ではありますがここ播磨の地にも思い入れがあったようです。
「播磨灘物語」では毛利氏の応援を得た三木氏の軍勢を、黒田官兵衛が巧みな戦術で破る場面が描かれています。
織田信長の天下統一の命を受けた羽柴秀吉は、中国平定の総大将となって播磨の地、加古川城の糟谷氏の屋敷に入って播磨の豪族に毛利攻めの協力を頼みました。
黒田官兵衛の働きかけにより表面的には播州のほとんどの大名・豪族が服属することになりましたが、加古川評定での秀吉の偉そうな態度に反発した叔父の別所吉親の説得により別所長治は毛利氏への帰順を決めることとなりました。
この加古川評定が、信長軍と毛利軍が戦うきっかけとなったのです。
別所長治が城主だった三木城は「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻めにあい、一族共に自害し開城しました。
三木城が落城したその後、三木城の戦いにおいて援軍を出した英賀城も落城しました。
英賀城は国史見在社であり、「播磨国風土記」によれば713年に伊和大神の御子英賀彦神・英賀姫神は、祖神の命により当地を本拠として播磨灘沿岸地域を開拓創始し、庶民安堵の国土を修理固めなされた総産土大神です。
ありがたい神社なので、皆でお参りをします。
「播磨灘物語」文学碑
「英賀城土塁」
碑の下が土塁ですが、欠けちゃっています。
この土塁は、英賀城の土塁のようです。
町は秋祭りの準備です。
英賀城本丸跡の石碑
英賀城跡からは、結構離れた場所にあります。
それほど英賀城の敷地が、広かったということですね。
英賀城跡から南に下って飾磨区に入ると菅原道真の像があります。
「学問の神様」で知られる菅原道真が太宰府に左遷となった時、この地に船を止めて橋の上に立ち「この先陸路をとるか、海路を行くか」を思案したのだという。
それがここ「思案橋」です。
ここ飾磨区は、「銀の馬車道」の終点でもあります。
銀の馬車道とは明治初期に生野と飾磨港の間、約49kmを生野銀山から産出した銀を運ぶための道を作りました。
「生野鉱山寮馬車道」と呼ばれたこの道は、当時の高速道路というべき馬車専用道路でした。
「銀の馬車道」の終点でもある官営生野鉱山馬車道の旧飾磨港揚場の倉庫です。
終点を知らせるのはこの標識だけ。
何だかあっけない終点です(笑)
ここから北上します。
秋祭りの屋台(やったい)を組んでいます。
「飾磨街道」を北上。
突然、参道が長く延びる「亀山本徳寺」が現れます。
英賀城下に本堂を開山したのが始まりとして、豊臣秀吉の英賀城攻めに先立って秀吉に寄進された亀山へ移されました。
本堂は明治6年に、京の西本願寺北集会所を移築したものです。
もとは新選組が屯所として使用していた北集会所でした。
平成16年に放送されたNHK大河ドラマ「新選組!」のロケ地として使われ、先日来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の撮影も行われました。
お堂の柱には、新選組隊士が腕試しで斬りつけたという刀傷が残っています。
そろそろお昼の時間です。
「亀山本徳寺」を北上すると、「灘菊酒造」があります。
灘菊酒造は平成16年より蔵元杜氏制をとり、蔵元の三女が杜氏を務めています。
女性の方が杜氏なんです。
もっと珍しいのが、杜氏以下全ての蔵人も社員なのです。
そしてここは、黒田官兵衛の筆頭家老「栗山善助」の屋敷跡だったそうです。
食事の場所は、明治43年建築の酒蔵が「前蔵」という食事処となっています。
その前に、蔵の見学をしてみましょう!
2014年の大河ドラマは「軍師官兵衛」。
今姫路は「黒田官兵衛」に沸いています。
昨年の4月に会社の同僚が発起人となって発足したウォーキングクラブ(って言っても、個人の趣味の世界ですが (;^_^A )。
今回でもう8回目。
毎回人数が増ており、今回のテーマが「黒田官兵衛」のためか、総勢10人もの大所帯になりました。
ウォーキングのタイトルは「播州黒田武士の史跡めぐりと酒蔵ちょぃ見のハイク」。
歴史好きな同僚の船頭で、レアなポイント巡りだそうです。
9:00a.m. JR英賀保駅で集合。
大阪、神戸、加古川、姫路。
各地から参加者が集まってきます。
「英賀城公園」内にある石垣。
ここは「英賀城跡」となるのですが、この石垣はどう見ても当時のものとは思えないですよね。
英賀城公園隣にある「英賀神社」。
ここは司馬遼太郎の「播磨灘物語」文学碑が建っています。
御着城小寺城主の家老黒田官兵衛が主人公で、秀吉の播州攻略に尽くした物語です。
英賀神社は一大勢力を誇った三木氏が城主だった英賀城跡の一角にあり、司馬遼太郎の先祖は英賀に籠城した武将だったそうです。
また、司馬遼太郎の祖父も姫路に住んでいたこともあり、大阪出身ではありますがここ播磨の地にも思い入れがあったようです。
「播磨灘物語」では毛利氏の応援を得た三木氏の軍勢を、黒田官兵衛が巧みな戦術で破る場面が描かれています。
織田信長の天下統一の命を受けた羽柴秀吉は、中国平定の総大将となって播磨の地、加古川城の糟谷氏の屋敷に入って播磨の豪族に毛利攻めの協力を頼みました。
黒田官兵衛の働きかけにより表面的には播州のほとんどの大名・豪族が服属することになりましたが、加古川評定での秀吉の偉そうな態度に反発した叔父の別所吉親の説得により別所長治は毛利氏への帰順を決めることとなりました。
この加古川評定が、信長軍と毛利軍が戦うきっかけとなったのです。
別所長治が城主だった三木城は「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻めにあい、一族共に自害し開城しました。
三木城が落城したその後、三木城の戦いにおいて援軍を出した英賀城も落城しました。
英賀城は国史見在社であり、「播磨国風土記」によれば713年に伊和大神の御子英賀彦神・英賀姫神は、祖神の命により当地を本拠として播磨灘沿岸地域を開拓創始し、庶民安堵の国土を修理固めなされた総産土大神です。
ありがたい神社なので、皆でお参りをします。
「播磨灘物語」文学碑
「英賀城土塁」
碑の下が土塁ですが、欠けちゃっています。
この土塁は、英賀城の土塁のようです。
町は秋祭りの準備です。
英賀城本丸跡の石碑
英賀城跡からは、結構離れた場所にあります。
それほど英賀城の敷地が、広かったということですね。
英賀城跡から南に下って飾磨区に入ると菅原道真の像があります。
「学問の神様」で知られる菅原道真が太宰府に左遷となった時、この地に船を止めて橋の上に立ち「この先陸路をとるか、海路を行くか」を思案したのだという。
それがここ「思案橋」です。
ここ飾磨区は、「銀の馬車道」の終点でもあります。
銀の馬車道とは明治初期に生野と飾磨港の間、約49kmを生野銀山から産出した銀を運ぶための道を作りました。
「生野鉱山寮馬車道」と呼ばれたこの道は、当時の高速道路というべき馬車専用道路でした。
「銀の馬車道」の終点でもある官営生野鉱山馬車道の旧飾磨港揚場の倉庫です。
終点を知らせるのはこの標識だけ。
何だかあっけない終点です(笑)
ここから北上します。
秋祭りの屋台(やったい)を組んでいます。
「飾磨街道」を北上。
突然、参道が長く延びる「亀山本徳寺」が現れます。
英賀城下に本堂を開山したのが始まりとして、豊臣秀吉の英賀城攻めに先立って秀吉に寄進された亀山へ移されました。
本堂は明治6年に、京の西本願寺北集会所を移築したものです。
もとは新選組が屯所として使用していた北集会所でした。
平成16年に放送されたNHK大河ドラマ「新選組!」のロケ地として使われ、先日来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の撮影も行われました。
お堂の柱には、新選組隊士が腕試しで斬りつけたという刀傷が残っています。
そろそろお昼の時間です。
「亀山本徳寺」を北上すると、「灘菊酒造」があります。
灘菊酒造は平成16年より蔵元杜氏制をとり、蔵元の三女が杜氏を務めています。
女性の方が杜氏なんです。
もっと珍しいのが、杜氏以下全ての蔵人も社員なのです。
そしてここは、黒田官兵衛の筆頭家老「栗山善助」の屋敷跡だったそうです。
食事の場所は、明治43年建築の酒蔵が「前蔵」という食事処となっています。
その前に、蔵の見学をしてみましょう!
大河ドラマ「軍師官兵衛」で姫路は盛り上がってますね、もうちょっと加古川にも恩恵が欲しいですね。
by koni (2013-10-08 08:28)
10/4より、謎のページに自動転送されるようになってしまいました。
ご迷惑おかけして本当に申し訳ございません。
なんとか復旧できたようですが、正直、原因が追求できておりません。
従来のページのブログ容量も一杯になりそうですし、今後の投稿は、下記、新しいページに移行することにしました。
http://ryo1216-2.blog.so-net.ne.jp/
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
by ryo1216 (2013-10-08 09:33)
姫路・・・盛り上がりそうやね〜♪^^
歴史好きが多いからね〜
歩いて学ぶ・・・良い企画やね!
ビールついてくるなら・・・私も!へへ;
by hatumi30331 (2013-10-08 10:20)
地元すぐ近くのはずなのに、全く行った記憶がないです。
時間を作って地元周辺散策をしてみたくなってきました。
by みぞお (2013-10-08 15:12)