黒田官兵衛ウォーキング② [姫路]
黒田官兵衛ウォーキングの続きです。
「灘菊酒造」で昼食ですが、準備が出来るまで折角なので酒蔵見学をしてみましょう。
ちなみに同僚の実家は、地元ではチョッと有名な昔ながらの八百屋さんです。
「灘菊酒造」の大将は、この八百屋さんに買い物に来るそうです。
そのよしみで蔵の案内を頼んでいたそうですが、くしくも地区の祭りの寄り合いで出掛けているそうです。
「灘菊酒造」の歴史が、本人の口から語られるところだったのですが残念!
約2,700坪の敷地に創業当時(明治43年)からの木造酒蔵が現存しており、昭和30年代までの造り酒屋の配置を残しています。
「釜場」は、昭和30年までお米を蒸していた場所です。
表にある釜は、実際に使っていたものです。
「中蔵」は、昭和30年まで蒸した酒米をござに広げて冷ましていた場所です。
現在は酒造りの道具や木製の樽、昔の帳面などを展示しています。
「酒司(さけつかさ)」
「杉玉」が吊るされるのは新酒が出来た事を知らせるものですが、安全醸造と美味しいお酒が出来る様にと思いを込めて作られています。
杉玉は別名で酒林(さかばやし)とも呼ばれ、杉を使うのは茶色に変色するのと酒が熟成する時間が同じくらいだからそうです。
そろそろろお腹も減ってきたので、昼食としましょう。
明治43年建築の酒蔵が食事処になっており、土壁・柱・梁は当時のままです。
そこのメニューは「羽柴」。
自家製 ざるこし豆腐に紫黒米ごはん。
酒蔵の季節の六つの味と酒蔵鍋です。
.酒はこの後のお楽しみです。
ということで、食事の後の試飲です(笑)
前回でも説明しましたが、「灘菊酒造」の杜氏は皆社員です。
それに、全国で三人目の女性杜氏がいるのです。
原種「蔵」は、もろみをしぼってから一度も水を加えていないお酒です。
お店の方が最後に飲んでくださいといわれたお酒、アルコール度数36度の「蔵人」。
「きっつ~!!」
こりゃあ、この後飲んだ酒は、印象が薄くなってしまいます。
全種試飲するものもいれば、購入ものもいます。
確か、この後もウォーキングが続くはずだが……
予想的中!!
次の目的地まで電車移動です。(笑)
「山陽電車」です。
下車駅は「妻鹿駅」です。
妻鹿といえば、灘のけんか祭りで有名です。
「軍師官兵衛」でも有名になるのでしょうか?
妻鹿駅から市川沿いを北に上がります。
10分ほど歩いたところに「官兵衛」ゆかりの地です。
「荒神社」の境内にあるのが…
「妻鹿城跡」の碑です。
正式名称は「功山城(こうやまじょう)」で、別名を「妻鹿城」と言います。
姫路城代の黒田職隆(官兵衛の父)は官兵衛に家督を譲り隠居城としてこの妻鹿城に移りました。
官兵衛は三木城攻略の後に羽柴秀吉に姫路城を譲り、自身は父のいるここ妻鹿城に移りました。
荒神社境内に登山口があります。
所々険しい道を登っていきます。
お酒も少し残っている者もいたようですが、しんどい思いをした見返りがあります。
笹が両側に茂っている間を抜けて、送電線鉄塔の方向に向かいます。
鉄塔のフェンスニ沿って回り込むと…
南向きの、市川が流れ込む瀬戸内を見下ろします。
先に見える大きな建物が、Panasonicの工場です。
北向きに回り込むと…
姫路市街が見えます。
平成の大修理中の姫路城、「天空の白鷺」が見えます。
羽柴秀吉に譲った姫路城です。
官兵衛が見渡した景色を後に、最後のポイントに向かいます。
「筑前(ちくぜん)さん参道」にあるのは…
「黒田職隆廟」
官兵衛の父、職隆のお墓です。
と言うか、解説板には五輪塔の風化がひどく刻銘は判読困難な状態だったと書かれています。
『地輪正面に「天正一三酉 大禅 満誉宗円 定門 八月廿二日」、地輪左側面に「黒田□□」の刻銘があったことが報告されている。
「寛政重修諸家譜」の黒田系図・黒田識(職)隆の条に、法名を宗円、天正13年8月22日に62歳で死去の記載があり、この塔は黒田職隆の墓塔であると考えられる。」という事で、職隆のお墓らしいというのが正しいようです。
NHK大河ドラマは福山雅治主演「龍馬伝」以来遠ざかっているので、来年の「軍師黒田官兵衛」は見ることにします。
これにて同僚企画の「播州黒田武士の史跡めぐりと酒蔵ちょぃ見のハイク」は、これにて終了です。
「灘菊酒造」で昼食ですが、準備が出来るまで折角なので酒蔵見学をしてみましょう。
ちなみに同僚の実家は、地元ではチョッと有名な昔ながらの八百屋さんです。
「灘菊酒造」の大将は、この八百屋さんに買い物に来るそうです。
そのよしみで蔵の案内を頼んでいたそうですが、くしくも地区の祭りの寄り合いで出掛けているそうです。
「灘菊酒造」の歴史が、本人の口から語られるところだったのですが残念!
約2,700坪の敷地に創業当時(明治43年)からの木造酒蔵が現存しており、昭和30年代までの造り酒屋の配置を残しています。
「釜場」は、昭和30年までお米を蒸していた場所です。
表にある釜は、実際に使っていたものです。
「中蔵」は、昭和30年まで蒸した酒米をござに広げて冷ましていた場所です。
現在は酒造りの道具や木製の樽、昔の帳面などを展示しています。
「酒司(さけつかさ)」
「杉玉」が吊るされるのは新酒が出来た事を知らせるものですが、安全醸造と美味しいお酒が出来る様にと思いを込めて作られています。
杉玉は別名で酒林(さかばやし)とも呼ばれ、杉を使うのは茶色に変色するのと酒が熟成する時間が同じくらいだからそうです。
そろそろろお腹も減ってきたので、昼食としましょう。
明治43年建築の酒蔵が食事処になっており、土壁・柱・梁は当時のままです。
そこのメニューは「羽柴」。
自家製 ざるこし豆腐に紫黒米ごはん。
酒蔵の季節の六つの味と酒蔵鍋です。
.酒はこの後のお楽しみです。
ということで、食事の後の試飲です(笑)
前回でも説明しましたが、「灘菊酒造」の杜氏は皆社員です。
それに、全国で三人目の女性杜氏がいるのです。
原種「蔵」は、もろみをしぼってから一度も水を加えていないお酒です。
お店の方が最後に飲んでくださいといわれたお酒、アルコール度数36度の「蔵人」。
「きっつ~!!」
こりゃあ、この後飲んだ酒は、印象が薄くなってしまいます。
全種試飲するものもいれば、購入ものもいます。
確か、この後もウォーキングが続くはずだが……
予想的中!!
次の目的地まで電車移動です。(笑)
「山陽電車」です。
下車駅は「妻鹿駅」です。
妻鹿といえば、灘のけんか祭りで有名です。
「軍師官兵衛」でも有名になるのでしょうか?
妻鹿駅から市川沿いを北に上がります。
10分ほど歩いたところに「官兵衛」ゆかりの地です。
「荒神社」の境内にあるのが…
「妻鹿城跡」の碑です。
正式名称は「功山城(こうやまじょう)」で、別名を「妻鹿城」と言います。
姫路城代の黒田職隆(官兵衛の父)は官兵衛に家督を譲り隠居城としてこの妻鹿城に移りました。
官兵衛は三木城攻略の後に羽柴秀吉に姫路城を譲り、自身は父のいるここ妻鹿城に移りました。
荒神社境内に登山口があります。
所々険しい道を登っていきます。
お酒も少し残っている者もいたようですが、しんどい思いをした見返りがあります。
笹が両側に茂っている間を抜けて、送電線鉄塔の方向に向かいます。
鉄塔のフェンスニ沿って回り込むと…
南向きの、市川が流れ込む瀬戸内を見下ろします。
先に見える大きな建物が、Panasonicの工場です。
北向きに回り込むと…
姫路市街が見えます。
平成の大修理中の姫路城、「天空の白鷺」が見えます。
羽柴秀吉に譲った姫路城です。
官兵衛が見渡した景色を後に、最後のポイントに向かいます。
「筑前(ちくぜん)さん参道」にあるのは…
「黒田職隆廟」
官兵衛の父、職隆のお墓です。
と言うか、解説板には五輪塔の風化がひどく刻銘は判読困難な状態だったと書かれています。
『地輪正面に「天正一三酉 大禅 満誉宗円 定門 八月廿二日」、地輪左側面に「黒田□□」の刻銘があったことが報告されている。
「寛政重修諸家譜」の黒田系図・黒田識(職)隆の条に、法名を宗円、天正13年8月22日に62歳で死去の記載があり、この塔は黒田職隆の墓塔であると考えられる。」という事で、職隆のお墓らしいというのが正しいようです。
NHK大河ドラマは福山雅治主演「龍馬伝」以来遠ざかっているので、来年の「軍師黒田官兵衛」は見ることにします。
これにて同僚企画の「播州黒田武士の史跡めぐりと酒蔵ちょぃ見のハイク」は、これにて終了です。
みんなで歩くのって楽しいですよね。
良い一日でしたね。
私も案内してもらっちゃおうかな?(笑)
by hatumi30331 (2013-10-14 08:10)
美味しいものをしっかり食べて、しっかり歩く、健康的なイベントですね。
私も「龍馬伝」から大河ドラマは観てません、「軍師黒田官兵衛」は観ます!
by koni (2013-10-14 08:41)
美味しそうな昼食ですね。お昼はお酒よりビールですね。
私は「利家とまつ」以来で、綾瀬はるかの「八重の桜」は見ようと思っていましたが最近ギブアップしました。
by tsun (2013-10-14 20:56)
大河ドラマが始まる前から、地元はずいぶん盛り上がっているのですね。
by みぞお (2013-10-15 15:22)